北海道の地震

激しい山崩れで風景が一変している。
空からの悲惨な映像を目にしたのは、地震がおきてから12時間もたってからだった。

北海道庁1階の公共スペースでは、災害用電源によってテレビ画面にニュースが映し出されていた。一切の情報と遮断されていた中、いつもは当たり前のその光景が、どこか別の世界にきたように不思議なものに思えた。そこにいる大勢の人は、誰もがただ黙って食い入るように画面を見続けていた。

電気がない。

ただそれだけで、こんなにも手も足も出なくなるとは、想像を超えていた。

この中で出会った現場の方々の働きぶり。
足止めになった方々の冷静沈着さとお互いへの配慮。
これも想像を超えていた。
もし、次、があった時に自分はどうふるまうか。とても考えさせられた。そのことを忘れずに、わずか一日半のことだけれど書き留めておこうと思った。

感嘆、感謝、尊敬を込めて。

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■1日目 夜中3時の地震~明け方

前日、函館でツアーを終え皆さんを見送ったあと、函館空港→丘珠空港の最終便で札幌に入りベッドに倒れこんだ私は、夜中に激しい揺れで目が覚めた。直後に館内でけたたましくサイレンがなり、スタッフのアナウンスが流れた。

近郊で地震が起きたこと。
停電しているが急ぎ確認・対応中であること。

まず、ドアが開くことを確認。大丈夫、逃げられる。すぐに廊下が賑やかになった。学会があっていたようで、同じフロアはその一団と思われる。海外の方も多いようで英語で懸命に説明をしている。「no fire, no fire」に、安心したような声があがる。

初めて経験する地震。サイレン。理解できない日本語アナウンス。外国人にはどんなに恐ろしいことだろう。

余震に備え、まずは逃げる準備をした。
(1)ショルダーバック
→これ1つで逃げられるよう。連絡先メモとキャラメルなどの手持ち食糧を全部ここへ
(2)大きなバック
→できればこれも一緒に逃げたいが捨てる覚悟も。PCもここ
(3)トランク
→避難にじゃまになるものすべて

私が泊まったのは札幌駅隣接のホテルで、ホテル1階も向かいもコンビニ。駅と行き来ができ、タクシーもバスターミナルもあり、動きやすい環境だったのは幸いだった。

水を買いに行った。
もちろん階段。漆黒の闇の階段を足元を照らしながらの昇り降り。ツアー中でなくても今後マグライトは必携だ。6階だったので良かったけれど、上層階の人ももちろん階段。翌日にはホテル側が階段室に何か所かライトを設置してくれた。思いのほか、照明のない階段室の昇り降りはやっかいと実感した。

それから朝まで、スマホで情報をと思うも、こんな日に限って、うかつにも前夜は安心感と疲れから充電に繋がず寝ていた。甘い。ノートPCはWi-Fiダウンでだめ、LANケーブルを持っていて繋いだけれどだめ。PCのわずかなバッテリー残量をケーブルでスマホに移した。これにてPCはダウン。

残量が心もとないスマホで急いだのは、連絡先のメモだった。5人と約束があり、とにかく連絡をしたい。ところが、SNSやアプリに頼ることが増えており、よく使う携帯番号などしか入っていないことに気づく。ネットと繋がっている平常時に連絡先DBにアクセスしているときには意識もしていなかった。約束の5人の固定電話・携帯電話・メールアドレスをメモするだけなのに苦労してしまった。甘い。

ここで判断を誤ったのは、無事の確認と約束キャンセルのメールを、すぐに入れなかったこと。朝まで様子を見て連絡しようと思ってしまった。いずれにしても、返信メールがこなければ相手に伝わったかわからないので、やはり電話がしたかった。後から聞くと、この時点で、停電のためすでにメール不能だった人もいた。

■1日目 午前

朝7時ぐらいから、ホテルの部屋の電話で連絡を試みた。
携帯電話へ=通じない。
固定電話へ=「この地域は現在ネットワークが壊れているか、先方のシステムが機能していない?(記憶あいまい)ためかかりません」。
そうか、固定電話と思っても今は光電話になっているし、ルーターに繋いでいて停電したら電話もつながらないのか!と気づく。

そうこうするうち、手元のスマホがきれた。
交通がすべて終日ストップしており、あの手この手を考えても予約も何もできないので、1~2日の滞在はやむなしと9時頃コンビニへ。

すでにパンと水は空っぽ。でもまだいろいろ残っており、最低限のものを籠へいれて並ぶ。店内は人で埋め尽くされ、レジから壁を一周して入り口まで行列。でも、品物をとりすぎるでも奪い合うでもなく、買い忘れに列を離れる人にはどうぞどうぞと、驚くほど整然と和やかに進む。レジでは電卓で計算しているが、なんと品物の値段をひとつずつ覚えている!並んでいるうちに入店制限され、このコンビニは午後には閉店になっていた。

手で開けられる缶詰(コンビーフや貝の甘辛煮などなぜか懐かしいものばかり)やチョコレートをいくつか求めたが、缶切りを持っていてこれに手を出さずに済めば、コンビーフを他の人が買えたな、と思った。今後はビクトリノックス必携。

私のホテルでは幸いにも水もお湯も出て、部屋の電話が使えた。道路の向かいの同様のビジネスホテルでは、停電でポンプが止まり、地震直後から断水だったらしい。のちの停電解除も、同じエリアでも建物ごとにバラバラだった。

午前中は、部屋の電話で東京の友人に連絡して助けてもらった。何せテレビもネットもみれず情報がない。どういう報道がなされているかも、渦中の本人たちにはまったくわからない。静かなものなのだ。

友人に全体の状況を聞き、ネット予約をしてもらうよう、千歳空港以外のいくつかの案をクレジットカードの番号とともに預けた。でも当然ながら、すでに満席かつキャンセル待ち不可がほとんどということ、ローカル空港や港への交通の再開がまったく不明とのことで、千歳空港の再開を待ちつつ、両にらみとした。

北海道に土地勘がない方のため代替案を紹介しておくと、
◎函館空港or釧路空港or旭川空港→羽田ほか本州ならどこでも
◎小樽港or苫小牧港→新潟
などができた。空港か港まで行きつけるなら。
道内専用の丘珠空港(札幌市内)から道内各地へローカル線が飛んでおり、地震当日も旭川、釧路、函館空港自体は平常通り飛んでいた。

それらの様子はつかめても、航空会社のサイトへアクセスできず(自分は電源喪失のため、東京の友人はアクセス集中のため)、電話は当然通じず。手も足も出ないとわかったので、待つことにした。

■1日目 午後

昼頃、札幌駅には電気がきて水とトイレがOKになったとかで、人が集まりだした。コンコースも、駅の外の通路にも階段にも、行き場を失った人がぎっしり座り込んでいる。高齢の方もいる。外国人もいる。元気な私がホテルに泊まれることが申し訳なかった。

北海道庁で待ち合わせた知人と連絡がつかないままで、もしかしたらと徒歩で向かう。あの赤レンガ建築の前で、海外からの旅行客が次々と記念写真を撮っていく。できることを楽しむしか、今やれる事はないものね、せっかくおいでなのに申し訳ありません、という気持ちになる。

道庁で思いがけず、災害用電源のおかげで冒頭のとおりテレビを見ることができ、空いているコンセントで充電もさせて頂けた。電源ケーブルを何本も蛸足でつなぎ、複数口USBのアダプタをつなぎ、そのぐちゃぐちゃの線を皆で円陣になって囲み順番を待つ。少ししか充電できないけれども、これで生き返った。

夕方には市内の一部で電源が回復し始めたらしく、このチャンスに別の知人と連絡がとれた。夜、知人がタクシーでホテルを訪ねてくれて薄暗いロビーで話し込み、1つだけは目的を果たせた。市内は信号が全くついておらず、タクシーの運転手さんが真っ暗な交差点を怖がりながら運転してくれたらしい。

ホテルの同じフロアの一団も動けずにいる。ほとんどの部屋はドアを開放して椅子で抑えている(退避路確保のため)。どうすることもできず、一日ベッドに横たわっているようで、出入りのたびにその足先だけが目に入る。不安だろう、遠い外国で気の毒だ。

■2日目 午前

早朝に駅へ行き、壁のコンセントに群がる充電仲間と情報交換しながら順番待ち。ここでも、割り込みもなく、のぞき込む人に待ちが何番目かを伝えながら、秩序が保たれている。2口のUSBタイプコンセントにどうぞどうぞと声がけしてくれる人、充電しながら他の人の調べ物をしてくれる人、助け合っている。

webは偉大だ。
渦中にいる人たちだけが、一番欲しい時にその情報にアクセスできないことも痛感した。スマホが使えるようになりwebにアクセスできることのありがたさといったら。

千歳空港が10時に開くこと、航空会社が午前・欠航、午後・未定、と掲載したことを確認し、飛びそうだとすぐに千歳へ移動することに。タクシー相乗りで行こうとなった。乗り場は長蛇の列。ところが1台来ては1人、また来ては1人。すると列の中から「すみませーん、こんな時ですからー、同じ方向は相乗りお願いできたら助かりまーす、お願いしまーす」。それからは誰もが乗る前に、慣れずに恥ずかしいのを振り絞ってという雰囲気で一生懸命に、「苫小牧いらっしゃいますか~」、「小樽いらっしゃいますか~」と大声で呼びかけながら、なるべく空席をつくらずに乗り込んでいく。皆さん粛々と着々と。横入りもない。

ちなみに、タクシーは動くのに、期待していた高速バスが2日目も動く様子が見えなかったのは「信号が全部つくまでは公共交通機関としては安全性が確保できない」が理由と聞いた。道路が大丈夫でも、そういうこともストップの理由になると知った。

ガソリンスタンドはどこも地元の方の長蛇の列、給油量の制限もされている。駅前のレンタカーに早朝から並んだ人も断られていた。

タクシーが、乗客がみな遠方へ向かうのに動いてくれたのは本当に助かった。千歳空港だけでなく、小樽港や苫小牧港、旭川空港や函館空港へも向かっていた。こんな時でも、営業権のルールで、帰りには(他のエリアなので)乗客を乗せてはだめで空車で戻ってくるらしいのに…。

千歳空港に着いたのは10時過ぎだった。すでに立錐の余地もない混雑。それでも、窓口ごとに行列を上手にくねくね曲げながらコントロールし、最後尾につかせ、通行人が通る狭い道を確保していて、なんて上手に場を仕切っているのかと感心した。航空会社のスタッフの方々は体中からオーラが出ていた。

■2日目 午後

幸運にも、私が持っていた午後の便はフライト確定。ゲートを入る前にやり残しがないかと、シャッターが下りて人がいない空間へ座り込んでしばらくいろいろやっていた。目の前では、エレベータを見つけて寄ってきた人を、係員の男性が太い声で「これは使えません。運航のためだけに動かしています。大変申し訳ありません、乗れません」と体をはって押し返している。大きな荷物を持った人を断るのはつらいだろう。でも体中から、とにかく飛行機を飛ばすという気迫がみなぎっていた。

天井が落ち、壁が崩れかけ、「危険、立ち入り禁止」と縄を張った所がいくつもある。これだけの被害をチェックしひと晩で開港など、よくぞと思う。徹夜で復旧し、押し寄せる大人数をさばくための打ち合わせを徹夜で重ね、持ち場を守って必死の形相で現場をコントロールして下さっている。

飛行機では機長アナウンスにも心うたれた。大変でいらっしゃいましたねと、私たちへのいたわりの言葉。早くお戻りになりたいでしょうに定刻に遅れて申し訳ありませんと、お詫びの言葉。無事にご帰宅なさってゆっくりお休みになってくださいと、労いの言葉。

飛行機のクルーだけでなく、JRの駅でも空港でもホテルでも、現場スタッフの皆さんはどんなに大変かと思うのに、頭が下がるお働きだった。ホテルでも滞在中、フロントで待ち構えていて相談に来た方に親切ににこやかに対応されていた。ご自分の家族や自宅も心配でしょうにと、涙が出る思いだった。

タクシーでご一緒した方の話では、札幌郊外の当別町の温泉センターに宿をとっていたら、広い宴会場を宿泊所として、東京ほか各地から自衛隊が続々と入ってきたとか。ヘリコプターで飛んできたそうだ。迅速な動きが頼もしくありがたい。現場は皆、すごい力を持っている。

 

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個人的には、備えていればと反省が多くある。駅で寝泊まりしている方たちに、もっとできることがあったのにと後悔もある。でも実際に私にできることは、一刻も早く混乱の現場を立ち去ることだけだった。
せめて、せっかく楽しみに北海道に出かけてきてくれたのに、駅で座り込むしかない海外からの旅行者に、何も役にはたたなくても、大変でしたね、何かお困りはないですか、と一言、声をかければ良かったと。会話をするというだけのことが、あの状況ではとても安心できることだと身に染みた。日本語の緊急情報がわからないなら、きっとなおさらに。

ニュースでは、空港職員を怒鳴るような様子も伝えられているが、少なくとも私は一人としてそういう人は見なかった。コンビニでもホテルでも駅でも空港でも、群がって壁のコンセントから充電している場所でも、タクシーに並ぶ行列でも、粛々と、相談し情報交換し、別れていった。

自分で備えられる準備を、いつでもしておくこと。
現場オペレーションの優秀さと現場スタッフの気迫を、逆の立場になった時には心すること。

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北海道の皆さまの安寧と、
一刻も早い復旧を、
心からお祈りしております。