「入鹿、生けりせば」ー『謎の豪族 蘇我氏』の強烈な一節 -Asuka-

伝飛鳥板蓋宮跡

連休に本を読んで籠っている幸せ。
このGW、強烈に刺さった一節です。

「入鹿、生けりせば」

水谷千秋氏『謎の豪族 蘇我氏』の小見出しです。

蘇我入鹿といえば、あの絵。
『漫画・日本の歴史』の、その瞬間の絵。

ヒーロー中大兄皇子が、悪党入鹿を殺すシーンです。あの頃は、どの家にも学校の図書室にも『日本の歴史』がありました。あの絵が記憶の底に刷り込まれているのは私だけではないでしょう。

宮殿で公式行事の最中に、
天皇の目前で惨殺された蘇我入鹿。

その乙巳の変を皮切りに、勝者・中大兄皇子(天智天皇)たちにより大化の改新がなされ、白村江の戦を経て、青丹よし奈良の都の華やかさに続いていきます。

大仕事を成した中大兄皇子は、のちに天智天皇になってから、激動の白村江の時代を生きた母・斉明天皇の菩提を弔うために、観世音寺を建立しました。

白村江遠征の間際に斉明天皇が崩御した九州の、大宰府に。今その大宰府一帯は「令和」フィーバーの中にあります。
(ちなみに斉明天皇が滞在し崩御した宮は諸説あり未だ確定されず。九州考古学の最大の謎ともいわれる興味深いテーマです)

・・・・・

これが、当たり前に聞いてきたストーリー。
ステレオタイプのヒーローと悪党の理解。

でも・・・、
入鹿とはどういう人物だったのか、
思えばほとんど知りませんでした。

蘇我一族があまりに強大に過ぎたかもしれない。
若気の至りで反感を買う所業もあったかもしれない。

でも、

才知にあふれ、
激動の東アジア情勢を熟知し、
国際感覚を持ち、
「国家の計を成さむや」と考えていた、
入鹿。

その頭の中にはどんな「国家の計」、
どんな世界が描かれていたのか。

その頃は危険を感じてか肌身離さず持っていた剣を、宮中に入る前に芸人の話芸に笑いながら預けるという致命的なふるまいも(これもだまし討ちの一環)。水谷氏が記すように「英雄の豪胆さを」感じてしまいます。

歴史とは勝者が書くものと
つくづく思います。

歴史に「もしも」は無いけれど、
読者としても想像せずにはおれませんでした。

「入鹿、生けりせば」

『古代豪族と大王の謎』『謎の豪族 蘇我氏』(いずれも水谷千秋氏)と続けて読み、豪族に浸ったひと月。また違う人間ドラマが見えてきました。

蘇我稲目・馬子・蝦夷・入鹿に会いに、
飛鳥をゆっくり歩きに行こう。
同じ景色が、今までとは違って見えてくる気がします。
あと、秦氏の親分にもすごく会いたくなっています。

 

*写真は「伝飛鳥板蓋宮跡」
入鹿が惨殺されたのは、すべての入り口をふさがれたこの宮殿の中。その日は豪雨で、雨の中へ投げ捨てられた入鹿の遺体は、むしろをかぶせられたという
伝飛鳥板蓋宮跡

伝飛鳥板蓋宮跡の解説