別府湾の大型古墳(イントロ編/全6話) Beppu, Big old tomb

温泉地「別府」。血の池地獄や坊主地獄などユニークな地獄が数多く、眼下の別府湾のあちら側には猿山・高崎山が、こちら側には六郷満山・国東半島が見える観光地です。

でも、この別府湾沿岸は大型古墳が集中するエリアでもあり、それがあまり知られていないのがとても残念。

地図をご覧になってみてください。地勢からみて面白くないわけがない。古代の歴史の宝庫です。

古代の営みを見るときに、大事なのは川。
ここでは阿蘇から悠々と流れきて別府湾へ注ぐ、大野川が歴史を育みました。

ところで、

九州島の、大分と反対の西側は有明海に面します。大河・筑後川が有明海に注ぐ出口に、家具で有名な大川という町がありますが、その辺りを車で走っていると標識に「竹田」と出てきて驚くことがあります。

遠すぎるし、なぜここで、あの山の奥の竹田?

現代の道や行政区画に慣れているとピンときませんが、竹田は阿蘇山の麓、九州のへそに位置し、古代から交通の結節点でした。

有明海から阿蘇→竹田、そして竹田から大野川に沿って別府湾へと至ります。そこから海路で瀬戸内を経て近畿へ。

古代の幹線だったと理解できますね。標識の「→竹田」は名残でもあり、今も生きているルートなのです。

この重要なルート上には、筑紫君磐井が豊後へ落ち延びた話、景行天皇巡行の行宮、風土記の「鼠」たち(抵抗した在地豪族)などなど、古代の多くの伝承が残っています。各地で女性首長が一族を率いて活躍するのもこのエリア。

別府湾の前方後円墳は、海人たちを思わせる出土品ばかり。
ヤマトに必要とされた、海と生きている地元豪族の姿が想像されます。

古墳の時代変遷をみると、国東半島の南の別府湾から、北の周防灘沿岸に移っていくのも興味深い。ヤマトは、朝鮮半島との往来のために、より北に、海人の拠点が必要になったのでしょうか。

別府湾エリアの、亀塚古墳、築山古墳、臼塚古墳、それと意味深でユニークな古宮古墳を1本ずつ書いてゆきます。

 

大分高速道路の別府湾SAからの景色。左は国東半島。右手に目的の古墳があるエリアが続き、湾の向こうにはすぐそこに四国。

 


先の写真の場所で。案内板と照らし合わせてください。

 


ヤマトから瀬戸内の主要大型古墳。瀬戸内の出入り口として国東半島の南の別府湾、北の行橋・苅田の位置的重要性がわかる。
(海部古墳資料館の展示より)

 


別府湾エリアの主要古墳。

 


亀塚古墳。大分県最大の前方後円墳。葺石に白い石英質の石が用いられ、海から見たときに、白い堂々たる姿が光り輝いたはず。

 


築山古墳。亀塚に注ぐ大きさ。女性首長の墓。石棺の中には朱が多量に!

 


臼塚古墳。海人を示す耳骨腫の頭骨が出たのもここ。石人は八女の石人石馬との関係が気になる。有名な臼杵磨崖仏の近く。

 


3段の上から順に、福岡東部~宇佐エリア、国東~別府湾エリア、下は他のエリアの大型古墳(宮崎の生目・西都原、八女の岩戸山など)。
1番上の段で苅田の石塚山が最初に現れたあと、2番目の段の宇佐から別府湾に集中して築かれ、その後それが北部(1番上の段)へ移っていったのがわかる。

 


宇佐、国東、別府湾から大野川流域。大型古墳が終焉を迎えたのち、最後の時期に築かれた古宮古墳は注目すべき古墳。これもご紹介します。

 


大型の前方後円墳、亀塚、築山、臼塚をご紹介します。

 


最後の時期、古宮古墳は、ヤマトとのつながりを語る。九州唯一の刳り抜き型の石棺式石室。

 


亀塚古墳

 


亀塚古墳の船が書かれた埴輪

 


亀塚古墳のスイジガイ文様の埴輪

 


築山古墳

 


築山古墳。石棺には女性。

 


築山古墳。石棺には3体の人骨

 


岬の突端、早吸日女(はやすひめ)神社。今も海人の神

 


竜宮城や、

 


浦島太郎も。

 


臼塚古墳の石棺

 


臼塚古墳の鎧をつけた石人。

 


古宮古墳の案内板。

 


古宮古墳。刳り貫き型の石棺式石室。
これら古墳を、一ヶ所ずつご紹介してゆきます。